1947-08-29 第1回国会 参議院 文教委員会 第7号
宗教心理學は心理學の應用的な一部門として、そういう題目の下に取扱われておると存じております。宗教社會学も社會學の一部門としてそういうふうに取扱われておると存じております。但しこれらの學門をどの程度に十分にこなして、そうして若し將來できます講座を充たすことができるかどうかについては、まだ研究いたしておりません。私の承知いたしております點だけを申上げて置きます。
宗教心理學は心理學の應用的な一部門として、そういう題目の下に取扱われておると存じております。宗教社會学も社會學の一部門としてそういうふうに取扱われておると存じております。但しこれらの學門をどの程度に十分にこなして、そうして若し將來できます講座を充たすことができるかどうかについては、まだ研究いたしておりません。私の承知いたしております點だけを申上げて置きます。
○梅津錦一君 重ねて申上げますが、先程の第一案であるところの宗教教育を取上げるとするならば、宗教概論若しくは宗教史、或いは宗教心理學、それから宗教社會學、こういうものを分類されたところの科學が文部當局において現在學的な措置と體系ができておるか、文部省の扱う體系としてそうしたものができておるかおらないか、文部省の用意の程をお聽きしたいと思います。
○梅津錦一君 先程一、二、三の設置についてのお話があつたのでありますが、宗教概論と宗教史と宗教心理學と宗教社會學、こういうものが科學として區分されたものが、文部當局において現在用意されておるかおらないかということを、文部當局の日高局長にお伺いしたいのですが、いかがですか。
第三には宗教心理學、これも特別として置くか、教育心理學の上に附帶させるかということも考慮せられていいと思いますが、とにかく宗教心理學、これは教育におきまして重要な立場を持つている。その次には、こういう言葉の使い方は正しいかどうか分りませんが、宗教社會學と假に名付けた。
先ず宗教社會學、それと同時に宗教心理學、これは教育心理學に織込まれてもいい。それから、宗教史と宗教概論、それから宗教哲學は宗教概論の中に織り込んでもいいだろうかと思います。
それが人間の生活に流れて來るという立場から言えば宗教心理學という立場を見なければならない。それから社會的現象として現に存在しておりますものとしましては、澤山の宗教的な、文化的な要素が出ておるのであるから、それを十分に取り調べなければならん。